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西都保健生活協同組合 
「たぬきのひとりごと」

生活習慣病って?

保健学校 講演原稿 全文です。

きずなで 連載したダイジェスト版よりも もう少しニュアンスをお伝えできるかと思います。

今日は、糖尿を良くする方法、血圧を下げる方法、癌にならない方法、呆けない方法を聞きたくていらしたと思いますが、そういうお話は、かかりつけの先生に聞いてもらうとして、生活習慣病といっても、高血圧、糖尿病、がんなど、耳にしたことのあるものではなく、違う視点での生活習慣病について考え、そのことで、皆さんが生きるヒントにしてもらえればと思います。

 

まず、WHO(世界保健機構)の健康の定義を見てみましょう。私たちが子供の頃に習ったのは、「健全な身体に健全な精神が宿る」と身体がまずあって、そこに精神があとからくっついているかのようでした。ただ、原文をあたってみると、「病気がないとか虚弱ではないというのではなく、身体/精神/スピリチュアル、そして社会が整い、それらがお互いに有意義にある状態(保坂解釈)」と書かれてあります。つまり、身体や精神、スピリチュアル、社会は、上下の関係にあるわけではなく、それぞれが関係しながらも独立した存在としてあるわけです。

 

 美空ひばりさんの歌に、「川の流れのように」があります。私も大好きな歌ですが、ここで唄われているようには、なかなか生きられないものです。そうすると様々なストレスを抱えながら生きることにならざるを得ないのですが、その時大きく見えてくる生活習慣病の一つに「医者患者関係」が、あります。診療していると、遠くのほうから、「薬が多くて困る」「話を聞いてくれない。説明してくれない。」という声が聞こえてきます。でもそれは、医者個人の問題なのでしょうか。薬が多くなるのは、皆さんが、あっちが痛いこっちが痛い、咳がでる、ふらふらすることの解決を、自分自身にではなく医者に求め、薬を求め、誰にでも薬ばっかり出すように医者を教育したからかもしれません。ちっとも話を聞いてくれないのは、受診の度に、あっち痛いこっち痛い、ちっとも良くならないばかりで、楽しい話一つしない。あんなに愛し合っていたはずの旦那()さんも、あなたの話は、聞かなくなったように、医者も、毎日毎日そういう話ばっかり、3040人から聞かされた結果、耳も口も塞いでしまっただけなのです。医者と患者の関係は、人と人とのお互い様の鏡のような関係で、悪い医者は患者がつくった。悪い患者は医者がつくったといえましょう。医者も心をもった生きものです。無用に医者の心の中を探らずに、医者の心の痛みにも配慮してみましょう。痛いことばかりではなく、良くなった時間、場所も探してみましょう。たまには医者のプロポーズにもYESと答えて、提案を実行してみましょう。医者とだけ関係をつくるのではなく、看護婦さんや医事課の職員とも関係をつくってみましょう。あなたの身体のことだけではなく、あなた自身についても知ってもらえるように働きかけましょう。あなたが良い患者なら、医者も良い医者でいられるわけですから、医者患者関係という生活習慣病は、患者である、あなたが治療できるものなのです。

 

 皆さんは、ご自分の死因として何がご希望ですか。がん。脳卒中。心筋梗塞。肺炎。事故。老衰。(会場では、老衰だけに3分の一程の方が手を挙げました)。今日本の統計では、3分の一の方は、がんで亡くなっています。進行がんの良いところは、確実に死ねるところです。脳卒中は嫌、寝たきりは嫌。確かに嫌かもしれませんが、それでは寝たきりになっている方に失礼ではないでしょうか。寝たきりの状態にも何かあるはずで、私は寝たきりになっていても、何か楽しみをもっていられるように今生きています。心筋梗塞は、あっという間に死ねますが、家で亡くなると検死が必要になりますし、家族も急なことでショックが大きく残ります。がんも嫌、脳卒中、心筋梗塞も嫌だったら、肺炎で死ぬしかない。逆に、肺炎の予防接種をしたら、がんや脳卒中で死ぬことになりますが、いかがでしょうか。事故は、突然で周囲はショックですし、相手がいると恨みが残ります。ご希望の方が多かった老衰は、確率的には、今日の参加者のうち2名程。私がその二人のうちの一人になりたいなんて、甘い考えをもっても、なかなかそうは上手くはいかないものです。つまり希望通りにならない死因。生活習慣病も、努力したからならないわけではない。つまり、いわゆる生活習慣病は、「後悔先にたたず病」ともいえるのではないでしょうか。将来の苦痛を回避するために、今苦労し努力する。いづれにしても、大変。努力しても報われないかもしれませんし、一方で、高をくくってしまったら、将来の苦痛の確率は高くなる。悩ましい人生ということです。何のために生活習慣病を予防するのか。考えるにあたって、健康って何だろう、生きるって何だろう、生きるひととしての責任って何だろうということが問われているのでしょう。

 北多摩クリニックで、あなたは自分で健康と思いますか。というアンケートを取ったことがあります。健康と答えた方が70%。不健康だと思うと答えた方が30%。一般的な健康観が、身体の状態を指しているように、いづれの方も、身体の症状と密接に結びついた回答で、心の状態には、案外関心が薄い結果でした。でも、WHOの健康の定義にあったように、身体だけ取り出すのではなく、精神にも社会にもスポットライトをあてて考えてみるのも大切ではないでしょうか。どうしても健康は是、不健康は非ということで話が始まりますが、生まれてきた私たちは、必ず死を迎えます。川の流れのようには生きられず、様々なストレスもその時々に抱えます。健康を志向するだけではなく、死・不

健康・不快・不便、、、という避けられないもろもろも、自然なこととして受容し、その上で、どう生きるか考えてみましょう。

身体は寝たきりでも健康心を持っているということは、考えられないでしょうか。寝たきりの状態の方を 優しい気持ちをもち、見る/看る/診ることで、「鏡」のように、お互いに「健康心」についても想像してみましょうか。直接の死因にはならないのですが、やっかいな生活習慣病として、「くよくよ病」と「あー云えばこう云う病」があります。どちらも、先回りをして心配し、がんじがらめに手も足も出せなくなってしまう「後悔さきにたたす病」です。膝が痛くて寝てばかりでは、筋力も、心肺の働きも弱ってしまいます。少しは起きている時間もつくりましょうという提案をしても、「医者には私の痛みはわからないよ。誰かに起こしてもらわないと起きられない」と。であればと、ヘルパーさんに手伝ってもらいましょうとの提案にも「家に他人が入るのは嫌」。くよくよばかりで、お友達も一緒に居たくなくなり離れ、大切な場面にも援助を受けられず、結局孤独死まっしぐらになってしまいます。

良い例を一つ紹介しましょう。北多摩クリニックの訪問診療を利用している方の栄養状態を調べたことがあります。介護度が高くなる(介護量が増える)につれて、栄養状態が低下します。ただ、お家で、食事の時に、会話をしながら食べられる環境にある方、或いは、通所している方の栄養状態は、良い、ということがわかりました。つまり、気持ちがしっかり整っているので、会話もできる、外にお出かけしようという気にもなる。そのことで、栄養状態も良くなり、痛みも和らげられる可能性があるということです。病は気から。身体の症状はあっても、健康心を持っている、私の尊敬する方を紹介しましょう。90歳になり、目も見えなくなった、耳も聞こえなくなった、あぁこのままだと呆けてしまう。何とかしなくちゃと一念発起し、孫さんに習って手芸を始めた。100歳になり、ベッド周囲での生活になってはいても、可愛い作品をたくさん作り続けています。90歳でも始められるのですから、まだまだ若い皆さんは、もっと始められるはずです。

 

 

 皆さんは、人生最期の食事は何を食べたいでしょうか。私は、とんかつとバナナに決めています。明日死ぬかもしれないわけですから、毎日食べたい。毎日食べると、高血圧・糖尿病になり、薬をのんで治療する羽目になってしまいます。すると日本の医療費は高くなる、当然税金も高くなり、社会の格差も拡がります。格差社会の原因は、私が毎日、とんかつとバナナを食べるという生活習慣が原因の日本の病といえるでしょうか。皆さんも心当たりがあるでしょう。

 2005年食育基本法という法律ができました。人格形成において、食事の果たす役割が大きいため、食を通じての教育「食育」を、わざわざ法律を作ってまでしてする必要に迫られているということです。村社会・多世代同居の当時は、おばあちゃん、おかあさんのつくった、いわゆるおふくろの味を、家族みんなで楽しんでいたのですが、核家族化、女性の社会進出、高齢化、情報化とこの50年間の社会の変化で、日本の食卓は、買い置きのお惣菜、菓子パン、インスタント食品といった他人の味をを三々五々集まって食べるえさ場と化している状況です。総務省の消費実態調査でも、1980年には83.8%だった食材費が2003年には77.7%に減少。つまり食材を買って家で作ることが徐々に減っています。一方で、中食つまり惣菜やお弁当を買って食べる割合は、4.6%8.5%に、外食も11.513.8% と増えています。この後は、高齢者専用の宅配弁当(中食)の割合は増え、いくら法律で食育を謳っても、家で作る習慣は減り、食生活の格差も、社会の生活習慣病として考えざるを得なくなってしまうでしょう。

 

地球上には、「今晩何を食べようかな」と考えられる地域に住んでいる方は、日本も含めて、14億人。選択できる生活の上にある贅沢な生活習慣病。56億人の住む地域では、食糧の確保すらおぼつかない、個人が選択できない生活をしている、栄養失調や感染症という生活習慣病がある。輸入した食材の3分の2を捨てている日本にいて、夢なんかない、持てないと云う方がいる。自殺者が年に3万人いる日本。食べるものが十分になくとも、いのち大切に生きている、生きることに真剣な方たち。どちらが幸せなのか。東日本大震災では、多くの不条理な死がありました。世界には、日本にも、自身の責任ではないのに、暖かい家や温かい食事を得られない方がたくさんいます。不満を云っても、お上をせめても、幸せは得られない。視野の拡がりで、幸せ度も変わります。今日の私は、昨日のわたし、そしてみんなのおかげで、生きています。生活習慣病なんて、つまらないことにとらわれず、幸せを感じながら生きることを大切にしたものです。病気があってもなくても、生きているだけでは、「生きる」ことにはなりません。健康とは、身体、精神、スピリシュアル、そして社会が整い、「有意義に互いに働きかけている状態」と考えます。

 

 最期に、元気で生きる方法を、考えてみましょう。自分で作って食べること、それが生きものとしての基本です。自分で食事をつくれなくなったら、生きものとしての基本ができないわけですから、「死」を覚悟し、受容することが必要です。でも、西都保健生協の組合員であるみなさんは、まだできることがあるのです。西都のヘルパーさんにお手伝いしてもらって食事をつくって食べる。西都のディを利用して、心身のエネルギーを高める。西都の訪問看護師さんと一緒に、身体の様子こころの様子を整えることで、もう少し楽しめそうです。医者をあてにせず、最期まで住み慣れたお家で生活し、食べられなくなったらおしまいです。みなささんご希望通りの老衰で最期を迎えられます。